学校日記

ニツ山古墳

公開日
2021/05/02
更新日
2021/05/02

新田の歴史

「現地案内板の内容」

群馬県指定史跡 ニツ山古墳
昭和23年11月2日指定
所在地 新田郡大字天良字新開発167-85乙
管理者 新田町

 ニツ山古墳は、この地域に所在した古墳群中の一つで、南東に近接する二号墳と共に、前方後円墳である。その他にいくつかの円墳が見られたが、現在は残っていない。この古墳は、主軸を北西から南東にとり、全長74m、高さ6mで2段に構築され葺き石と周囲に堀跡がある。墳丘は、よく原型を保ち、裾部には二重の円筒埴輪列がめぐらされ、墳頂部からは形象埴輪が出土した。石室は明治 21年に発掘され、南南西に開口している横穴式石室である。奥行は約7m、高さ約1.8mから2.1m、天井は5枚の石積、奥壁は一枚石、両壁は切石積になっている。石室内出土品は刀剣類、馬具等があり東京国立博物館に保管されている。また墳丘部の発掘調査は、昭和23年慶応大学文学部によって行われ、次の様な埴輪配列が明らかになった。

1.円筒埴輪列が裾部に2列にめぐらされ、外側列は間隔80から90cm、内側列は大小の円筒埴輪が密接に並び内外の間隔は2mである。

2.石室入口両側に参道を挟むように円筒埴輪が存在した。

3.形象埴輪が多数発見され次の様な埋設状況が明確となった。
(イ)後円部円筒埴輪列の内側に馬12頭が一列に並び間に人物等が散在した。
(ロ)東側くびれ部には靱、翳、鞆、帽、等の器物が列立していた。
(ハ)西側くびれ部においては、人物、鳥、靱、翳が二列に存在した。
(ホ)前方および後円墳頂部にも家形の存在を認めた。

 以上のことから推察すると、築造年代は古墳文化が終末期に入ろうとする飛鳥時代、すなわち7世紀の始めと考えられている。またその規模から、ニツ山古墳群の中枢をなしていたものと思われる。この地方の古墳文化を知る上で重要であ
る。

群馬県教育委員会 新田町教育委員会