レントゲン 〜新しい発見は、地道な努力の積み重ねから
- 公開日
- 2020/05/18
- 更新日
- 2020/05/18
お知らせ
太田中学校の皆さんへ(第13回)
★14日(木)、全国に出されていた緊急事態宣言が群馬県を含む39県で解除されました。そして、群馬県では県でで独自に決めた警戒度を最高の「4」から「3」に引き下げました。警戒度4は、「ステイホーム」で、不要不急の外出は控えることが求められていましたが、(3になったことで少しずつ営業を再開するお店も出てきて)、外出する人の数も増えてきているようです。
★しかし、警戒レベルが3に下がったとはいえ、まったく安心はできません。ここで気を緩めると、群馬県でも感染が広がる危険だってあります。とにかく、「新しい生活様式」を意識して、人と人との距離を保つ、手洗いは石けんで30秒洗う、マスクは必ず着用する、3密は避けることなどを実行しなければなりません。
★新型コロナウイルスの流行は、今の状況では、「収束」(ある程度収まる状態)することはあっても、「終息」(完全になくなる状態)はしません。よい治療薬やワクチンが開発されて、だれもがそれを利用できる状態にならない限り、私たちは新型コロナウイルスと共に生活していかなければならないのです。感染しないように、そして、感染させないように、新型コロナウイルスと、うまく付き合っていかなければなりません。そのことは忘れてはなりません。
★さて、新型コロナウイルスに感染した人が肺炎になっているかどうかを確かめる方法として、肺をX線写真(レントゲン写真)、あるいはCTスキャナーで撮影する方法がありますが、これらの撮影で使われるX線を発見したのが、1845年にドイツで生まれた「レントゲン」です。
★レントゲンが生まれた当時のヨーロッパ各国では、市民が王様や貴族などを倒して公平な社会をつくろうとする「市民革命」が盛んでした。その混乱から逃れるために、レントゲン一家は彼が3歳の時に母の故郷のオランダに引っ越します。オランダの自然の中でのびのび育ったレントゲンは、17歳でオランダの工芸学校に入学します。ところが、なんと、落書きをした友達をかばって工芸学校を退学させられてしまいます。
★その後のレントゲンは、抜群に成績が優秀だったこともあり、20歳でスイスの「ポリテクニウム」(現在のチューリヒ工科大学のもとになった学校)に、無試験で入学します。そして、レントゲンは、ここで物理学のクント教授と出会います。このクント先生との運命的な出会いが、レントゲンを物理学の道に進ませることになります。また、レントゲンは、このポリテクニウムの学生時代に、学校近くの居酒屋の主人の娘であるベルタと出会い仲良くなります。後にレントゲンは、このベルタと結婚しますので、これも彼にとってのもう一つの運命的な出会いでした。
★クント教授の助手となったレントゲンは、教授と共にドイツのビュルツブルク大学に赴任し、自身でも研究と実験の毎日を送ります。そして、25歳で有名な物理学者が行った実験結果を覆(くつがえ)す論文が認められたレントゲンは、27歳でベルタと結婚。その後、ドイツのストラスブール大学の助教授、ギーセン大学の教授として学生の指導と自身の研究などを続けながら、43歳で再びビュルツブルク大学に戻り、49歳で大学の学長となりました。
★そして、50歳で、世界中を驚かせるX線の大発見をすることになります。X線発見のきっかけになったのは、「放電」(ほうでん)という現象でした。普通は空気中を流れない電気が、二つの物質の間を移動する電圧がとても強いときには、流れるようになるのだそうですが、特にレントゲンが興味をもったのは、「真空放電」というものでした。空気を抜いたガラス管の中で人工的に放電を起こす実験をしながら、二つの極の間を飛ぶ、見えない「電気のもと」(陰極線・いんきょくせん)の性質を突き止めようと実験を繰り返すうちに、偶然にX線を発見したのです。自分や奥さんの手の骨が写った写真を証拠に論文を発表し、世界中が大騒ぎとなりました。「X線」のXは数学の世界で未知を意味するXから取ったのだそうです。
★この発見によって、1901年、レントゲンが56歳で第1回のノーベル物理学賞を受賞したことや、その後、このX線が現代の医学や天文学の分野などでも応用され続け、その進歩や発展に大きく貢献していることは、皆さんも知っているとおりです。とにかく地道に実験を繰り返す中でこの大発見を成し遂げたレントゲンの研究に対する姿勢と情熱は素晴らしいの一言であります。
★私たち太田中の教師も、現在の苦しい状況の中から「新たな何かを見つけ出し」、これからの皆さんの学習が充実したものになるよう、地道に努力を積み重ねていこうと考えています。
太田中学校長 今井 東