石巻ボランテイア隊レポート
- 公開日
- 2014/08/08
- 更新日
- 2014/08/08
学校行事・学校生活
太田市教育委員会学校教育課の主催する「石巻ボランテイア隊」に本校から4名が応募し、初めて応募した2年生2名が参加しました。
2名のレポートから一部を紹介します。
2年男子K君
2日間の石巻ボランテイア隊の中で、僕は、たくさんのことを知り、感じ、考えました。1日目の南三陸町の被害を見た時、まず感じたのが、テレビで見た被害よりもはるかに被害が大きかったということです。周りを見ると、草が生えた土地ばかりが目につきました。また、仮設建物も見え、復興は難しいものだと思いました。
南三陸で講師の方から聴いたお話しからは、津波が間近にせまっていた時の、命のかかった避難の様子に、僕も怖いと思いました。
その後の石巻のお話しでは、津波の被害を受けても、もう一度立ち上がり、仕事を再開された、その底力に驚きました。
2日目のボランテイアでは、被災地の現実が少し分かりました。船に乗せていただいた時に、静かな海が、突如、たくさんのものとひとを飲み込む津波になることに、怖さを覚えました。
しかし、甚大な被害の中でも、前に進もうとされている被害者の方々もいることに感動しました。まだまだ復興は遠いと思いますが、きっと、復興できると思います。
最後に、2日間お世話になった東北の方々、そしてスタッフの方々、ありがとうございました。
2年女子Iさん
私がこのボランテイアに参加したきっかけは、被災者の人の役に少しでもたちたかったからです。1日目はバスで浸水地域をまわり、語り部さん、地元漁業者の方の話を聞きました。防災庁舎も見て、本当に津波の威力はとんでもないものだということがわかりました。
震災当時、海外からの人的支援で、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエルから来ていたことに驚きました。中でも、イスラエルは、今、戦争の話をニュースで聞きました。
津波は高さ40mという想像もできない大きさだったそうです。40mは建物で言えば、だいたい5階ぐらいの高さで、ガソリンスタンドの看板には、3分の2ぐらいの高さに印がつけてありました。浸水エリアをまわった時、家などはすべて土台だけになっていました。
語り部さんの話によると、津波の影響で、5つの商店街はすべて流されてしまったそうです。今は、「南三陸さんさん商店街」という仮設住宅のお店があり、群馬から来た私たちを笑顔で迎えてくれました。語り部さんは、過去を思い出すことは、きっと辛いと思いました。でも「語ることで人に伝え、心の復興になる」と言っていました。また、地元漁業の石森さんは、地震があった時、船の上にいて地震に気づかなかったそうです。夜が明けると船をつけられる状態ではなかったそうです。
震災後、すぐでは、漁師さんたちは何もしなかったそうです。でもボランテイアの人たちに背中を押されて、作業を再開したと言われていました。ほたてのからを利用した牡蠣の養殖の手伝いの体験をして、少しでも、現地の人の意欲や励みになれば、行ったかいがあったなと思いました。