11月19日 3年生の国語「ぼろぼろな駝鳥」(高村光太郎)の授業
- 公開日
- 2020/11/19
- 更新日
- 2020/11/19
お知らせ
★昨日と一昨日、3年生の各クラスの国語で、高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥(だちょう)」の授業が行われました。これまでに行ってきた詩の学習のまとめとして、教科書に掲載されていない詩を教師が用意しての授業でした。
★3年生の詩の学習の大きな目標は、作者のものの見方や考え方が表されている表現や使われている語句の効果に着目しながら詩を読み、人間や社会について考えることです。これを受けて、今回の授業では、「詩をとおして作者の訴えたいことを考えること」「作者の思いを自分の言葉で表現すること」をねらって授業が行われました。
★「何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股過ぎるぢゃ(じゃ)ないか。頸(くび)があんまり長過ぎるぢゃないか。」という一節でこの詩は始まります。
★動物園に来る前は、広い草原で自由にえさを見つけ、自分の意思で行きたいところに行き、伸び伸びと暮らしていたであろう駝鳥と、現在、動物園の閉鎖的な環境の中で不自由に生きる駝鳥とを比べ、「これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。」と怒り嘆く光太郎。
★そして、その光太郎の怒りの気持ちは、最後の「人間よ、もう止(よ)せ、こんな事は。」という一文に集約されます。
★授業では、題名を「−−駝鳥」として生徒に示し、内容を読み取った後で題名を考えさせるという形をとりました。また、最後の一文も「人間よ、−−」と空欄部分を作り、生徒に光太郎がなんと書いているかを想像させていました。いずれの課題についても、生徒は詩の中の言葉を根拠にしながら、真剣に考えていました。
★この詩の解説をいろいろ調べてみると、光太郎は、この詩を単なる動物愛護の視点から書いたのではなく、自分たちが作った決まりに縛られ、あくせく、ぶざまに生きる人間に対する強い怒りが込められているとありました。もちろん光太郎の怒りは、自分自身に対しても向けられていたのだと思います。