学校のようす

発明王・エジソン 〜150年前に「新しい日常」をつくった男

公開日
2020/05/28
更新日
2020/05/28

お知らせ

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太田中学校の皆さんへ(第19回)

★現在、太田中学校では、学校再開と共に始まる「新しい日常」をみなさんと共につくるための準備をすすめています。そのいくつかはブログの中でも紹介されていますが、大切なのは、「皆さん一人一人の意識」です。友達だけれど、お互いの感染の危険を考えて、お互いに気を遣っていこうという意識です。具体的には、学校内でも「3密」を避けるために、例えば、話をする時には、マスクを着けていても少し離れて話したり、向き合っての長時間のおしゃべりは避けたり、水道を使う時にも少し間を空けたり、離れて順番を待ったりなどという意識が大切です。また、授業や活動の後、多くの人が共通して使うものに触った後には、必ず石鹸で手洗いをするという意識が大切です。

★合い言葉は、「友達を大切に思っているからこそ、今は離れよう」「自分が感染しない、友達も感染させないために、しっかり手を洗おう」ということです。だれもが使える有効な治療薬やワクチンといったものがない現在、私たちにできる最も大切な感染予防対策は、「私たちの意識」のもちかたです。今までの学校生活とは違う、「新しい日常」をつくる努力はたいへんですが、意識を高くもち、お互いに気を付けながら頑張っていきましょう。

★暗い部屋に入るときには電気をつける、ニュースを見るためにテレビのリモコンボタンを押す、外出先でも誰かと話をするためにスマートフォンで電話をするなどは、今の私たちにとっては当たり前の日常の生活風景です。しかし、約150年前のアメリカで、今の私たちがこういった便利な生活を送るための基礎となる、数々の「発明」をし、当時の社会に「新しい日常」をつくり出した人物がいます。だれもが知っている、世界の発明王、世紀の天才発明家、「エジソン」です。

★1847年に生まれたエジソンは、幼い頃から、とにかく好奇心が旺盛で、興味のあること、疑問に思ったことは何でも、納得するまで周りの大人に質問したり、試してみたりする子でした。入学したての小学校では、あまりに先生に質問するので、授業の邪魔をすると言われ学校をやめさせられます。しかし、エジソンのことをだれよりも理解していた母親は、その後、家で毎日エジソンの勉強を見ることにしました。その後、母から与えられた科学の本を読みあさったり、家の地下室に実験室を作ってもらったりした彼は、様々な実験もするようになります。

★12歳の時には、当時開通した鉄道の列車の中で新聞売りをしながら、デトロイトの図書館でたくさんの本を読んだり、列車の中でも実験を繰り返したりしました。その後、彼が15歳の時に、彼のその後の人生に大きな影響を与える出会いをします。マウントクレメンスという駅の駅長さんの子どもが列車にひかれそうになっているのを助けたエジソンは、そのお礼に、当時、急成長していた「電信」の技術(今の電話の音声通信ではなく、それよりずっと前の符号を使って行う通信。電信機という機械を使って行う。モールス符号が有名)について教えてもらうことになります。

★この電信の技術を短期間で身に付けたエジソンは、16歳で電信技師となり、アメリカ各地やカナダで働きます。そんな中でも、科学への興味が尽きなかった彼は、思い付いたアイディアを次々とノートにメモしていきました(彼が生涯にメモしたノートは3500冊にもなります)。

★その後、特に「電気」について興味をもった彼は、電気の性質をさらに勉強し、その後の様々な発明につなげていきます。22歳では、結果的には採用されませんでしたが、州の議会の投票結果を簡単に分かるようにする「電気式投票記録機」(彼が取った初めての特許)を発明しました。その後も、自身で発明をしたり機械をつくったりするための工場をつくり、次々にいろいろな発明をし、40もの特許を取ります。30歳で今の電話のもとになる「炭素送話機」や「蓄音機」も発明します。こうして大発明家として知られるようになったエジソンは、31歳で、あの有名な「白熱電灯(電球)」の研究を始めます。そして、電球の中に入れるフィラメントを何にしたらよいか見つける実験を何千回も繰り返し、ついに32歳で、炭素フィラメントを使った「白熱電球」の発明に成功しました。また33歳で、発電機の技術を使って「電気機関車」もつくりました。

★その後、1882年、35歳のエジソンはロンドンとニューヨークに世界で初めての発電所をつくり、発明家としてだけでなく、実業家としての能力も発揮していくことになります。その後、40歳でニュージャージー州に研究所を移してからも「円筒式蓄音機」、42歳で「キネトスコープ」(箱をのぞいてみる映画の機械)と「キネトグラフ」(撮影機)を、51歳で「コンクリートを使った家のつくり方」(鉄筋コンクリート建築の特許を取る)、63歳で「エジソン蓄電池」(今のアルカリ電池の原型)、アルカリ蓄電池を使った「電気自動車」、66歳で「キネトフォン」(音の出る活動写真・映画の原型)など、その後の科学研究や今の私たちの生活に役立つ数々の発明をしました。エジソンが一生のうちに取った特許は、1093件にもなります。ノーベル賞確実と言われたエジソンですが、それは実現しませんでした。

★1922年、75歳になったエジソンは、アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」の「今生きている最も偉大なアメリカ人」の第一位に選ばれました。アメリカは、エジソンが白熱電球を完成させた10月21日を「エジソンの日」と定め、彼の功績を称(たた)えました。また、1929年の10月には、友人らがエジソンのために、盛大に「電灯発明50周年の記念祭」も開いてくれました。生涯、発明家として数多くの発明を生み出し、150年も前に、今の私たちの生活につながる「新しい日常」をつくった偉大な発明王エジソンは、今から90年前の1931年に、84歳の生涯を閉じました。
(参考:ポプラ社 コミック版 世界の伝記「エジソン」)

★最期に、エジソン語録をいくつか紹介します。
1 成功するために一番確実な方法は、かならずもう一度だけ試してみる
  ことだ。
2 天才とは1パーセントの才能と99パーセントの努力である。
3 99回の失敗の後に、やっと1回成功すればいいほうである。
4 本当の偉人とは、多くの心配ごとをもちながらも弱音をはかない人で
  ある。

★私たち太田中の教師も、みなさんと共に努力を積み重ねながら、6月からの太田中の「新しい日常」をつくっていきます。

★さて、私の発信もあと一回で、区切りの20回。頑張ります。

太田中学校長  今井 東